タモリの赤塚不二夫への弔辞が泣ける!多くの名言も!彼の生い立ちが関係!

タモリが赤塚不二夫の弔辞で述べた名言エピソードとは。タモリと赤塚不二夫の生い立ちから考える二人の関係。弔辞の名言や生い立ちを画像と動画でまとめます。タモリの弔辞は準備されたもの?タモリの名言、タモリと赤塚不二夫の24時間TVでのSMハプニングを検証してみます。

タモリの赤塚不二夫への弔辞が泣ける!多くの名言も!彼の生い立ちが関係!

目次

  1. 話題になったタモリの赤塚不二夫への弔辞・心に響く名言
  2. 赤塚不二夫の生い立ち
  3. タモリの生い立ち
  4. タモリ、森田一義として赤塚不二夫の葬儀に参列
  5. タモリによる弔辞はテレビの話題に
  6. タモリの弔辞のオチは「トガシ」
  7. 赤塚不二夫の人生とさまざまなエピソード
  8. 赤塚不二夫をめぐる女性の晩年
  9. タモリが赤塚不二夫に宛てた弔辞の検証
  10. タモリと赤塚不二夫―2人の出会い
  11. 赤塚不二夫の生い立ち
  12. タモリと赤塚不二夫の24時間テレビ
  13. 映画『マンガをはみだした男・赤塚不二夫』公開
  14. タモリと赤塚不二夫の生い立ちの相違点

話題になったタモリの赤塚不二夫への弔辞・心に響く名言

多くの名言が飛び出したタモリの弔辞

単なる師弟関係と言うにはあまりにも大きな絆でつながれていたタモリと赤塚不二夫との関係。タモリが赤塚不二夫に宛てた「人生で最初の弔辞」には赤塚不二夫の人生や人とのかかわりが名言となって表されています。赤塚不二夫の葬儀では、タモリは本名の“森田一義”として弔辞を読みました。白紙の巻紙を手に7分近くの弔辞を読んだタモリ。よどみなくお別れの言葉を述べたことで、大きな話題をよんでいましたね。多くの名言を生み出したタモリの弔辞を振り返り、タモリと赤塚不二夫の生い立ちや、2人の関係性に迫ります。

弔辞を「読む」タモリ―名言が話題に

よどみなく一言一言名言が飛び出したシーン。心に響く弔辞を述べたタモリの姿と名言は、大きくメディアで取り上げられていました。巻紙を持ち、まるで準備した弔辞を読んでいるかのような姿。後でその巻紙は何も書かれていない白紙だったことがわかり、騒然となりました。弔辞の中の名言はその場で即興で考えられたものとは考えにくいとする声もありましたね。

赤塚不二夫の生い立ち

タモリのデビューのきっかけを作ったことでも知られる赤塚不二夫。『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』などの代表作で昭和のギャグ漫画を先導した存在でした。

赤塚不二夫の名言

バカボンのパパなど強烈なキャラクターを作りだす天才漫画家は、その名言や名フレーズでも良く知られています。

「ウケるためなら、死んでもいい」

赤塚不二夫―略歴

赤塚不二夫(あかつか ふじお)
本名:赤塚 藤雄
1935年9月14日 - 2008年8月2日
満州国熱河省灤平県古北口古城裡出身
1956年に貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。
3歳年下の石森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。
代表作
1962年『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』
1967年『天才バカボン』など
受賞歴
第10回小学館漫画賞(『おそ松くん』)
第18回文藝春秋漫画賞(『天才バカボン』他)
第26回日本漫画家協会賞文部大臣賞
紫綬褒章
第5回東京国際アニメフェア功労賞
など

赤塚不二夫の生い立ち―満州時代から引き上げまで

満州生まれの赤塚不二夫は10歳の時、満州で終戦を迎えています。父はシベリアに抑留され、佐世保へ引き上げてきますが、その過程で一家は離散。家族は母と弟、妹の3人になっていました。赤塚不二夫は当時の気持ちを「胸がえぐられるようだった」と述べています。生い立ちのエピソードです。

タモリの生い立ち

跡取りが欲しかった義理祖父母の養子だった両親の間に生まれたタモリと姉。両親の離婚をきっかけに義理祖父母に育てられています。母はその後2度の再婚をしています。小学校の時に電柱にぶつかり、目に針金が刺さるという事故があり、これをきっかけに右目の視力が低下。視力が元の状態に戻ることはありませんでした。

タモリの名言

複雑な家庭環境やプライベートを公に語ることは少なく、生い立ちはあまり知られていません。

「好きな言葉は『適当』」

タモリ-略歴

タモリこと森田一義-(もりた かずよし)
1945年8月22日福岡県福岡市南区出身
早稲田大学第二文学部西洋哲学専修を除籍
赤塚不二夫の番組で芸能界デビュー
2歳年上の妻がいる

タモリの生家跡地

現在は駐車場になっているタモリの生家。複雑な家庭環境に目の事故。不幸な生い立ちとして語られるのを嫌ってか、タモリがプライベートを語ることは多くありません。

タモリ、森田一義として赤塚不二夫の葬儀に参列

赤塚不二夫の葬儀は藤子不二雄Aが葬儀委員長を務めています。通夜、告別式は中野区宝仙寺で行われました。喪主は長女の赤塚りえ子がつとめています。タモリは本名の森田一義として弔辞を読み上げています。

タモリの弔辞の名言

弔辞を読むのは人生で初めてのこととしていますが、多くの名言があとあとまで話題を呼ぶことになりました。

赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。

タモリの弔辞の名言

弔辞の中でタモリは、赤塚不二夫を「赤塚先生」と呼んでいます。

人生で初めて読む弔辞が、あなたのものになるとは夢想だにしませんでした。

お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気にお互いが耐えられず、きちんと御礼をしたことがなかったとも弔辞の中で述べていますね。

タモリによる弔辞はテレビの話題に

カメラが手元を映すと、巻紙は白紙のように見えるということで話題を呼びました。後に弔辞の一件を聞かれたタモリは「俺のマネージャーはトガシ」という名言を返しています。弔辞のノーカット版の動画がありました。

弔辞の締めくくりのフレーズが名言として有名に

弔辞の最後の締めくくりに使われたフレーズ。タモリの名言としてあげられることで良く知られています。多くの人の心に響いた名言です。たくさんの名作を生み出した赤塚不二夫。スランプに陥り、漫画が描けない時期にはアルコール依存症だったことも。赤塚不二夫の作品の一つがタモリだったという名言には、感謝と尊敬の気持ちが表れています。二人の絆は肉親以上のものだったとはよく言われています。

私もあなたの数多くの作品の一つです。

タモリの弔辞のオチは「トガシ」

弔辞もギャグで行こうと思ったタモリ・そのオチとは

オチは?と聞かれたタモリは「俺のマネージャーの名前がトガシ」と答えたと伝えられましたね。歌舞伎の「勧進帳」のストーリーを把握していないと高度なオチに気付かない?!

タモリの弔辞の名言

赤塚不二夫が今この時も、どこかで高みの見物をしながら、タモリに言っているだろうというフレーズ。

おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わせてみせろと言っているにちがいありません。

タモリが九州で偶然山下洋輔らと出会った時のエピソード

タモリは山下洋輔トリオが宴会で盛り上がるホテルの部屋に入って行って、歌舞伎の芸をしたことで「発見された」というエピソードはあまりにも有名です。歌舞伎の芸を弔辞に織り込むのは、初期のタモリの芸を知っていれば全く違和感がない?!

そのまま「このよの〜(歌舞伎口調)」って(入っていった)。

タモリが世に出るきっかけもまた、歌舞伎を題材にした芸でした。

弔辞もギャグにして笑いを取れと言われるに違いないから、白紙の巻紙を準備した?!タモリと赤塚不二夫の二人の関係を良くあらわした名言ということになるのでしょうか。

「勧進帳」は、山伏姿の義経一行を関所から逃げのびさせるため、弁慶が「本物」と思わせるよう白紙の勧進帳を読み上げるなどして危機を脱する話だ。このとき関所の通過を許すのが富樫(トガシ)左衛門だ。

赤塚不二夫の人生とさまざまなエピソード

タモリの才能を見い出し、後ろ盾をしてきた赤塚不二夫。その人となりや人生をまとめてみましょう。

バカボンのパパの名言

バカボンのパパには名言が多い!赤塚不二夫の人となりが垣間見える名言です。

『わしは みんなのしあわせを願っているのだ。』

赤塚不二夫をめぐる女性の晩年

離婚後も愛された赤塚不二夫、結婚から別れまでの年表

再婚会見で先妻と長女が同席したシーン。赤塚不二夫は愛される存在であることが良くわかるエピソードでした。先妻と再婚相手は協力してスランプに陥りアルコールに依存していく赤塚不二夫をサポートしたことでも知られています。度重なる浮気も許される?赤塚不二夫をめぐる女性たちの晩年も合わせてまとめてみたいと思います。

1961年、アシスタントの稲生登茂子と最初の結婚。トキワ荘を退去しています。 1965年、長女りえ子が誕生。「フジオ・プロダクション」を設立しています。 1970年、赤塚不二夫の母がガス爆発事故で入院。くも膜下出血で死去。59歳でした。同年妻と別居状態に。

1973年、登茂子と正式離婚。 1987年、スランプ期に酒量が増え、アルコール依存症になっていた赤塚不二夫を支えた元アシスタント鈴木眞知子と再婚。婚姻届は先妻が保証人になり、結婚記者会見に先妻と娘が同席したことが話題になっていました。 2002年、赤塚不二夫、検査入院中に脳内出血で倒れる。

長女・赤塚りえ子と赤塚不二夫

2006年、妻・眞知子、くも膜下出血で死去。長女りえ子は生活拠点だったイギリスから急きょ帰国し、フジオ・プロ社長に就きます。 2008年、赤塚不二夫死去。3日前に前妻でりえ子の母・登茂子が亡くなっていたことが発表されました。

タモリが赤塚不二夫に宛てた弔辞の検証

名言だらけの弔辞はその場で考えたものではない説

後にサンキュータツオがタモリの弔辞を検証しています。最初に文章にまとめたものをある程度頭に入れていたのではないかとするものです。指摘箇所は複数あり、確かにあらかじめ文章を書き、推敲を練らなければ出てこないようなフレーズが多いことがわかります。

白紙だったという仮説は大変おもしろいものの、やや無理があるように思われます。明らかに文章のストラテジーを駆使した名文であるがゆえに、決してアドリブではなく、前もって自分で用意していた文章には違いありません。

赤塚不二夫とバンザイ猫・菊千代

タモリの白紙を読み上げた伝説の弔辞。あの名言だらけの弔辞は作られたものだった?即興で7分の弔辞を話し、自然に名言に次ぐ名言が出ていたと思っていた人は、なーんだ、そりゃそうだよなーと思ったこの分析。ちょっと興ざめした人もいたかもしれません。野暮な解析は要らなかった?!名言は伝説のままそっとしておいてほしかったという人も。

意図的に「かぶせ」た表現、連体修飾節が長い、書き言葉的な長文、最後の締めの言葉など、話し言葉とは根本的に違うとした複数に及ぶ分析箇所があります。やはり一度は書いて手を入れ、すっきりとまとめてから弔辞にしたんだろうという説には説得力があります。しかし最初に文章を考えてから弔辞を行ったとしても、そうじゃなかったとしても、名言が多い良い弔辞であったことに変わりはないですよね。

タモリと赤塚不二夫―2人の出会い

弔辞では突然赤塚不二夫がタモリの目の前にあらわれ、あまりのことにアガることもできなかったと言っています。二人は似たもの同士で意気投合、その後は肉親以上の絆を深めていきます。

タモリ弔辞の名言

憧れの人だった赤塚不二夫。タモリ世代には大きな影響力があったマンガ家でスター的存在だった赤塚不二夫との出会いを、タモリは弔辞の中でこう述べています。

あなたは突然私の眼前に現れました。

この時の芸を気に入った赤塚不二夫は、その場でタモリに番組出演をオファー。自分のアパートに住んでいいからと住居を提供しています。

タモリ弔辞の名言

スピード感のある「かぶせ」は、出会いのシーンを切り取る名言です。

赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。

そんな人の人生や自分の人生に関わるような大きな決断を、即決で言える赤塚不二夫の姿に度胆を抜かれたとも述べています。出会ってすぐに赤塚不二夫宅へ居候が決まったタモリは、妻と別居して東京に残ることになりました。

タモリ弔辞の名言

肉親以上の関係だったとされるタモリと赤塚不二夫。兄弟のようでもあり、父のようでもあったその関係を、タモリは弔辞でこう述べています。

あなたは父のようであり、兄のようであり、時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は年の離れた弟のようでもありました。

その後タモリは妻を呼び寄せ、赤塚不二夫宅に居候生活をします。

タモリの名言(居候は) 「卑屈になるな」

上手く居候生活を続けて行くコツとのことです。

卑屈になるな

居候生活をする機会はそう多くはないでしょう。しかし居候をするなら「卑屈になるな」というタモリの名言があります。

タモリの弔辞の名言「これでいいのだ」の精神

お笑いを生業とするタモリにとって、赤塚不二夫と過ごした時間は上質なギャグそのもののような日々だった?タモリが弔辞で述べた名言「これでいいのだ」は赤塚不二夫の名言として有名です。たこ八郎の葬儀の際に、高笑いしながら大粒の涙を流していた赤塚不二夫のことを述べたくだりに続く「これでいいのだ」の一文です。

タモリ弔辞の名言「これでいいのだ」

バカボンのパパの名言「これでいいのだ」。この短い言葉に込められた至福感をタモリが説明しています。ギャグが決まった瞬間に訪れるような、その場が異様に明るく感じられるような一瞬、人は日常から解き放たれて、時間のスポットにはまったような気持ちになるのかもしれません。赤塚不二夫の人となりそのものを表した名言でもあります。

あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

赤塚不二夫の生い立ち

赤塚不二夫の生い立ちのエピソードに、満州時代のものがあります。子供だった赤塚不二夫は父の背中を見て育ちました。戦線が近づき、多くの日本人家族が襲撃や惨殺のターゲットになる中、赤塚不二夫の一家だけが難を免れたのは、宣撫官の父が配給品を現地の中国人と平等に分けたり、中国人を蔑視しないよう子供たちを厳しくしつけたことに理由があるというのです。

赤塚不二夫の名言

差別はするなと教えられて育った赤塚不二夫。終戦で引き揚げた日本で、引き揚げ者として差別される体験をしています。

「差別っていうのはさ、言葉じゃなくて心の中にあるんだよな。「こういうことを言わないようにしようぜ」って言いながら、心の中で思ってることが最低なんだ。」

両親の出身地を転々とした子供時代

赤塚不二夫は満州から引き揚げ、母の実家がある奈良県大和郡山市矢田口や父方の実家がある新潟県内などを転々としています。閉鎖的な土地に移住することで、引き揚げ者として差別を受けた時代があります。その後上京し、『漫画少年』に投稿を続け、石森章太郎の目にとまります。トキワ荘では一時、母も同居していたといいます。

1956年から1961年までのトキワ荘時代

最初の結婚を機に引っ越すまで住んでいたトキワ荘で。漫画家を辞めようと悩んでいた時、寺田ヒロオが現金5万円を手渡してくれて「これがある間はここにいろ」と言われたという赤塚不二夫。当時の初任給は9千円程度だったということです。

タモリの弔辞の名言

赤塚不二夫の生涯は決して平坦なものではありませんでした。

あなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

タモリの弔辞の名言

赤塚不二夫はマージャンの時ですら相手の気持ちを考えるというタモリ。

あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。

タモリは赤塚不二夫の人となりに触れ、常に人を気遣い、マージャンはツモでしかあがらなかったと弔辞で述べていました。

寺田ヒロオのその後のエピソード

世俗とのコンタクトの最後にトキワ荘同窓会を催したといわれている寺田ヒロオ。同窓会のエピソードをまとめた動画があります。

赤塚不二夫の名言

人生観があらわれる名言があります。

「60才を過ぎた男がね、「死ぬのが怖い」と言っちゃダメだって。それまでの人生、何をやってきたんだと言うことでしょ。」

全力疾走で駆け抜けた赤塚不二夫らしい名言です。

タモリ上京―赤塚不二夫との日々

九州時代に偶然山下洋輔らと知り合いになりギャグのセンスを買われたタモリ。「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」ができ、カンパによって上京したというエピソードがあります。上京したタモリの噂を聞きつけて赤塚不二夫がタモリの芸を見に来たところから、2人の友情が始まります。

赤塚不二夫はタモリを自分の番組に出演させることを即決。しかし本番までに時間があるので、その間タモリは東京に泊まるところがありません。一度九州へ戻ろうと思っていたタモリに、自宅を使っていいからとオファーします。

自宅をタモリに受け渡し、車も自由に使わせていた赤塚不二夫。お金も渡して生活の面倒を見ます。自宅に戻れなくなった赤塚不二夫は仕事場にあったロッカーを倒し、ベッド代わりにしてそこに寝泊まりすることに。

タモリの弔辞の名言

人が良いだけではあれほどの突き抜けたギャグ漫画は描けない。赤塚不二夫の根本にあったのは強烈な反骨精神です。

その裏には強烈な反骨精神もありました。

やさしさと反骨精神。タモリが赤塚不二夫の人生を弔辞で表現していました。

タモリと赤塚不二夫の24時間テレビ

タモリが24時間テレビに出ないのは赤塚不二夫との出演歴が原因?!

タモリはなぜ24時間テレビに出ないのか・・・疑問に思う人が多いのか、検索する人が少なくないようです。タモリと赤塚不二夫は24時間テレビでSMショーをやってのけ、そのため担当ディレクターが左遷になり、それ以来タモリは24時間テレビに出演することはなくなったという都市伝説がある?!

「赤塚不二夫とタモリの西サモアに行ってこれでいいのだ」 (講談社コミックス)で西サモアに出かけた際の画像。

1978~1984年まででていたみたいですがマンガ家の赤塚不二夫先生と番組中にSMショーをしたためにそれ以降はでてない

ホントにあったのかタモリと赤塚不二夫のSMショー

タモリと赤塚不二夫の破天荒エピソードは限りなくあります。24時間テレビの深夜枠で行われたといわれているSMショー?の動画を検証してみましょう。あれ?いつものワニとイグアナのネタ?!お茶の間が驚愕するのも無理はないというタモリと赤塚不二夫のからみです。

タモリと赤塚不二夫のワニとイグアナ。本来は全裸で行うネタをテレビ用にアレンジ。一応履いてはいますが、かなりきわどいもの。生放送だっただけに、衝撃度がすごかった。

映画『マンガをはみだした男・赤塚不二夫』公開

タモリは主題歌を担当しています

映画『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』。赤塚不二夫のドキュメンタリー映画が公開され、タモリは主題曲を提供しています。

映画『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』-笑ってくれれば死んでもいい

2016年4月公開。映画『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』は赤塚不二夫の生誕80周年記念に製作されたドキュメンタリー映画です。「レッツラゴン」のキャラクターが赤塚不二夫の人生をご案内。アニメーションを中心に、肉声インタビューや関係者の証言でつづる赤塚不二夫の知られざるエピソードが楽しめます。

映画「マンガをはみだした男〜赤塚不二夫」の主題曲「ラーガ・バガヴァット」。タモリが作詞、U-zhaan(ユザーン)が作曲しています。

タモリと赤塚不二夫の生い立ちの相違点

家庭的なものにあこがれ、かなわずに寂しい思いをした生い立ちを持つとされるタモリと赤塚不二夫。二人の生い立ちに似た部分を感じるウォッチャーは多いかもしれません。タモリと赤塚不二夫が出会ってすぐに距離を縮め、肉親のように近しく付き合うようになったのには、2人の生い立ちが似ていたからと考えることができるかもしれませんね。

似ているようで少し違うタモリと赤塚不二夫の人生観

タモリの人生観にはどこか寂しさがあります。赤塚不二夫の人生観には、爽快感のような突き抜けた雰囲気が感じられますよね。

赤塚不二夫・晩年の名言

波乱万丈なのが人生・・・

最後に辻褄が合ってりゃ、何をやっても良いんだよ

タモリの名言

タモリの名言には寂しさや孤独感が常につきまといます。

人生とは後悔する為に過ごすものである。

赤塚不二夫とタモリ、2人の人生における名言を並べて、まとめにしたいと思います。

もっとタモリを知りたいアナタに

Thumbタモリのサングラスの秘密!実は目の病気?義眼なの?眼帯だった時代も! | Pinky
Thumbタモリさんと結婚した妻は誰?自宅は超豪邸!実家は?子供はいるの? | Pinky
Thumb生駒里奈がMステでタモリに失言?「おそ松さん知ってますか?」発言で大炎上!乃木坂46に批判の声多数。 | Pinky

こちらの関連記事もおすすめ

アクセスランキング

2021-06-22 時点

新着一覧