沢田研二(ジュリー)の現在を画像で調査!ファンにキレた事件とは?

沢田研二は、昭和の歌謡番組全盛期だった頃、セクシーなルックスと確かな歌唱力で、一世を風靡しました。そんな沢田研二の現在は、どうなっているのでしょうか?沢田研二のプロフィールや経歴を振り返り、さらに沢田研二の現在の画像や活動などをご紹介したいと思います。

沢田研二(ジュリー)の現在を画像で調査!ファンにキレた事件とは?

目次

  1. ジュリーとして人気だった歌手・沢田研二の現在は?
  2. 歌手・沢田研二(ジュリー)のプロフィール
  3. 歌手として活躍!ジュリーと呼ばれた沢田研二の経歴
  4. 沢田研二2度の結婚!現在の妻は?
  5. ジュリーと親しまれた時期の沢田研二のヒット曲
  6. 俳優としても活躍する沢田研二
  7. 現在も歌手?沢田研二の現在
  8. ファンにキレる?!現在の沢田研二
  9. 現在は昔の歌は歌わない?こだわりの強い沢田研二
  10. 【まとめ】ジュリーこと沢田研二の現在

ジュリーとして人気だった歌手・沢田研二の現在は?

昭和の歌謡界を彩った沢田研二は、ジュリーと親しまれ、トップ歌手として斬新な衣装を身にまとい、颯爽と駆け抜けていきました。まずは、デビューから振り返っていきたいと思います。そして、現在の沢田研二を、画像と共にお伝えしたいと思います。

歌手・沢田研二(ジュリー)のプロフィール

沢田 研二(さわだ けんじ)

本 名:澤田 研二
生年月日:1948年6月25日 68歳
出身地:京都府京都市(生まれは鳥取県鳥取市)
愛 称:ジュリー
身 長:171cm
活動期間:1967年~

歌手として活躍!ジュリーと呼ばれた沢田研二の経歴

ザ・タイガース

グループサウンズが全盛だった1967年2月に、沢田研二は「ザ・タイガース」として、シングル「僕のマリー」でデビューします。リードボーカルだった沢田研二は、10代の少女を中心に人気となり、一躍トップアイドルとなります。しかし、1971年1月24日に日本武道館で開催された「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」をもって解散します。

ザ・タイガースのメンバーには、岸部一徳(当時の名前は岸部修三)がいました。岸部一徳と言えば、現在ドラマ「ドクターX」などで活躍する俳優として有名ですね。17歳だった沢田研二を、グループのメインボーカルに誘ったのが岸部一徳でした。画像は、ドラマ「ドクターX」の岸部一徳です。

PYG(ピッグ)

ザ・タイガースを解散した後、1971年2月にバンド「PYG」に加入します。ザ・タイガースから引き続き岸部一徳が一緒に加入し、他には萩原健一、大口広司、井上堯之、大野克夫で、6人編成となります。沢田研二と萩原健一がツインボーカルとなり、井上、大野、岸部らが作詞作曲を手掛けました。ロックバンドとして活動しますが、当時あまりロックは受け入れられませんでした。

PYGの活動が軌道に乗らない中、萩原健一は俳優業に本格的に移行していき、沢田研二はソロ活動へ移行していきます。他のメンバーは、沢田研二のバックバンド(井上堯之バンド)となっていきます。

PYGは、1972年12月に萩原健一が音楽活動を停止したことにより、事実上の解散となります。画像は、俳優の萩原健一です。1974年10月から1975年3月まで放映されたドラマ「傷だらけの天使」は、萩原健一が主演を務め、大ヒットしました。

ソロ活動へ

沢田研二は、PYGの活動と並行して、1971年11月にシングル「君をのせて」でソロ歌手としてデビューします。

1973年4月に発売されたシングル「危険なふたり」で初のオリコン1位を獲得し、その年に日本歌謡大賞を受賞することで、沢田研二はソロとしての確固たる地位を築きます。

沢田研二2度の結婚!現在の妻は?

最初の結婚はザ・ピーナッツの伊藤エミ

沢田研二は、1975年6月にザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚します。交際期間は7年間だったそうです。子供は一男を授かりますが、1986年8月には別居し、1987年1月に離婚します。慰謝料は18億1,800万円だったそうです。

ザ・ピーナッツとは?

ザ・ピーナッツは、姉の伊藤エミと妹の伊藤ユミの双子の姉妹で結成した歌手です。1959年2月から1975年4月まで活動していました。「ふりむかないで」、「恋のバカンス」、映画「モスラ」の主題歌「モスラの歌」など、数々のヒット曲があります。伊藤エミは、2012年6月15日にがんのため71歳で死去しています。

田中裕子と再婚

沢田研二は、妻の伊藤エミと別居していた頃、1982年に映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」で共演していた田中裕子と不倫していたそうです。そして、伊藤エミと離婚成立後の1989年11月に沢田研二と田中裕子は再婚します。そして、沢田研二は現在も田中裕子と結婚生活を続けています。田中裕子は、女優として現在も活躍中です。沢田研二と田中裕子の間には、子供はいないそうです。

ジュリーと親しまれた時期の沢田研二のヒット曲

ソロ歌手となった沢田研二は、ジュリーのニックネームで多くの女性から人気となり、数々のヒット曲を連発します。その中の一部をご紹介したいと思います。

勝手にしやがれ

「勝手にしやがれ」は1977年5月に発売された、沢田研二19枚目のシングル曲です。沢田研二がソロになって4曲目となるオリコン1位を獲得し、その年の日本レコード大賞や日本有線大賞の大賞を受賞しています。

サムライ

「サムライ」は1978年1月に発売された、沢田研二22枚目のシングル曲です。ビジュアルにこだわってきた沢田研二ですが、ハーケンクロイツの腕章を付けた衣装が問題となり、物議をかもしました。ですが、下の映像は今見ても芸術的で、素晴らしいと思います。

B’zの稲葉浩志やDER ZIBETのISSAYをはじめとして、吉井和哉、河村隆一、清春、BUCK-TICKの櫻井敦司、福山雅治、ZIGGYの森重樹一、エレファントカシマシなどが、沢田の曲をカバーしている。

ダーリング

「ダーリング」は1978年5月に発売された、沢田研二23枚目のシングル曲です。こちらもオリコン1位を獲得しています。

TOKIO

「TOKIO」は1980年1月に発売された、沢田研二29枚目のシングル曲です。衣装には電飾をキラキラと光らせ、背中には大きな赤と白のパラシュートを背負った姿で歌い、話題となりました。しかし、この姿に違和感を覚えた井上堯之は、バックバンドを解散してしまいます。

俳優としても活躍する沢田研二

映画「太陽を盗んだ男」

1979年に公開された映画「太陽を盗んだ男」で、沢田研二は主人公の原子爆弾を作る理科教師を演じます。報知映画賞で作品賞と主演男優賞を受賞する他、日本アカデミー賞で主演男優賞にノミネートされ、高評価を受けました。

映画「魔界転生」

1981年に公開された映画「魔界転生」で沢田研二は、天草四郎を好演します。観客動員数200万人を記録して大ヒットしました。

NHKの連続テレビ小説「はね駒」

1986年4月から10月まで放映された、NHKの連続テレビ小説「はね駒(はねこんま)」で沢田研二は、主演の斉藤由貴演じる「橘(小野寺)りん」の女学校時代の恩師であり初恋の人である「松浪毅」を演じます。

大河ドラマ「山河燃ゆ」

1984年1月から12月まで放映された大河ドラマ「山河燃ゆ」で、沢田研二は「チャーリー田宮」役で出演します。バッサリと短髪にカットした髪型について、自ら「ジュリーカット」と名付けています。

大河ドラマ「琉球の風」

1993年1月10日から6月まで放映された大河ドラマ「琉球の風」で、沢田研二は「尚寧王」を演じます。「琉球の風」の撮影中にコンサートツアーもこなしていたそうです。

映画「カポネ大いに泣く」

1985年に公開された映画「カポネ大いに泣く」で、沢田研二は「大沢鉄五郎」を演じます。共にバンドをした仲間・萩原健一や、現在の妻となる田中裕子と共演しています。

映画「夢二」

1991年に公開された映画「夢二」で、沢田研二は主人公の「竹久夢二」を演じます。

現在も歌手?沢田研二の現在

いつしか、ヒットチャートから姿を消した沢田研二ですが、現在はどのような活動をしているのでしょうか?沢田研二の現在の姿を追っていきます。

沢田研二は、ヒットチャートからは遠ざかっていったものの、その後も歌手活動を続けます。さらに、俳優としてもドラマや舞台などで活躍します。

現在の沢田研二の画像

こちらが現在の沢田研二の画像です。だいぶ貫禄が出ています。デビューから全盛期だった頃は、かなり痩せていましたが、現在はあまり体形を気にしていないようです。

こちらの画像を見ると、かなり太ったことが伺えます。体調に影響が出ないかと心配になりますが、沢田研二は49年間1年も欠かすことなくライブ活動を続けています。歌声も昔と変わらず、素晴らしいと評判です。

ファンにキレる?!現在の沢田研二

2015年沢田研二正月ライブ

2015年のお正月に開催された沢田研二のライブ「昭和90年のVOICE∞」は、東京・名古屋・大阪で全6公演ありました。2時間に及ぶ熱いライブとなりましたが、最後のMCでイスラム国の日本人人質事件など政治的な話になった時、客席から「歌って~」と言う声が。それに対し「黙っとれ!嫌なら帰れ!」と怒鳴ったそうです。

MCを遮られることが大嫌い!

しかし、沢田研二がMCを遮られることが嫌いなのは、今始まったことではなく、古くからのファンは周知の事実だそうです。逆にMCを遮った人がいたことに、ファンが凍り付いたという話です。

音楽関係者は「沢田はMCをさえぎられることが大嫌いで、これまでも同様のことがあった」。

日本の未来を考える沢田研二

政治的な話も、急に話した訳ではないそうです。1985年に渡辺プロダクションから独立した沢田研二は、不遇の時代を経験し、「あいつはちゃんと考えている」と思われる歌を歌おうと思うようになったそうです。2008年に憲法第九条をモチーフとした曲「我が窮状」を発表しています。

2011年3月11日の東日本大震災から、反原発を訴えるようになり、2011年12月のコンサートでは「さようなら原発1000万人」の署名活動をしたり、山本太郎参議院議員が出馬の際に応援演説をしたりしています。ライブのMCで、政治的な話をすることも、昔からのファンの間では周知の事実だということです。

現在は昔の歌は歌わない?こだわりの強い沢田研二

2015年のライブでファンを怒鳴ったと話題になった際、「往年のヒット曲も全然歌わない」と言うことも取り上げられましたが、沢田研二はなぜ往年のヒット曲を歌わないのでしょうか?実はそこには、沢田研二のポリシーがあったのです。

セルフプロデュース

1995年に沢田研二は、セルフプロデュースでアルバム「sur←(ルーシュ)」を作ります。音楽に強いこだわりを持っていたようです。

1995年、沢田は「これからは、自分のやりたい音楽を、やりたいようにやっていきたい」とセルフ・プロデュースを宣言し、23年ぶりのセルフ・プロデュースアルバム「sur←」を発表した。以降、現在に至るまで一貫して沢田自身がアルバムのプロデュースを手掛けている。

ライブの構成も自ら考える!

セルフプロデュースにこだわってきた沢田研二は、ライブでの構成も自分で考えているそうです。セットリストにもこだわりがあり、常に今の自分の曲を歌うようにしているようです。

2015年までの48年間、1年も欠かすことなくライブをし続けてきた沢田研二は、その時その時の自分の持ち歌を歌ってきただけなのです。毎年来ているファンはそのことをわかっている訳ですが、昔のファンが久しぶりにライブを観に来ると、「全然昔の歌を歌わない」と残念に思ってしまうという状態になってしまうようです。

【まとめ】ジュリーこと沢田研二の現在

沢田研二は、現在も歌手として毎年ライブ活動を続けています。2017年もお正月ライブを、東京・名古屋・大阪で全5公演開催予定です。まだまだ精力的に活動する沢田研二。往年のヒット曲も歌って欲しいですが、これからも沢田研二は、新しい歌を作り続けていくでしょう。

もっと沢田研二の情報を知りたいアナタへ!

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