エンタメ
織田信長の家紋は何の花?簡単な意味や由来・読み方など!画像あり!
織田信長の家紋ってわかりますか?すぐに思い浮かんだあなたはよほどの織田信長好きですね。もしくは歴女さん!天下布武という言葉は織田信長からすぐ浮かぶ方は多いでしょうが、家紋はなかなか思い浮かばないはず。そんな織田信長の家紋の意味を調べてみました。

目次
織田信長ってどんな人?
戦国時代から安土桃山時代の武将であり戦国大名です。天下泰平を目指し、天下人となりながらも明智光秀に謀反を起こされ、その際に自死をしました。かなりざっくりとした説明なので分かりづらいかもしれませんが、織田信長はこんな感じの人でした。現代だったら常にニュースに取り上げられている人物であることは間違いありません。
織田信長と言えば第六天魔王の二つ名ですが、これは一体どういう意味なのでしょうか。仏教で修行を邪魔するものを意味し、悪魔のようなものなんだとか。第六天魔王と織田信長自ら名乗ったそうですから、異端児そのものと言っても良いでしょう。お父様のお葬式の際に位牌を投げた話なんかも有名ですよね。
それでは家紋とはいったいなんでしょうか?
家紋とはその家のしるしのことを言います。現在では違いますが、昔は苗字が同じだと家紋が同じだということが、少なくありませんでした。ですから、昔の人は家紋から自らのルーツを探すこともできたと言えます。
あなたは自分の家の家紋をご存知ですか?黒留袖を着るときに背中に入っていますよね。あれのことです。織田信長のような戦国時代の人だと、戦の時に旗についています。戦場でここにいますよ!とニュースにしていたようなものでしょうか。
家紋の歴史と由来
家紋は自分の苗字を表すしるしとして生まれました。家紋の原型のようなものは飛鳥時代からあったとされています。そして平安時代になり現在使われているような紋と同じようなものが多くなってきました。家紋が重要性を増したのは室町・戦国時代で、戦の時によく利用されたのです。
戦乱のなくなった徳川時代に家紋は一般庶民に広がりました。その時代は一般庶民が苗字をつけることはできませんでしたが、家紋に対しての制約がなかったため家紋をつけることが流行ったのです。そのため家紋は一族を意味するものとして利用されることになりました。
織田信長は家紋が7つもあった!?
織田信長の家紋で最も有名な木瓜紋は画像の家紋ですが、ほかにも6つあったそうです。すごいニュースですよね。戦国時代では上司から家紋をもらったり、授けたりすることできずなを強めていきました。そのため織田信長のようにいくつも持っていた武将は多いんだとか。さて、木瓜紋については後程説明をしますから、ほかの織田信長の家紋を6つ見ていきましょう。
揚羽蝶(あげはちょう)
この画像の家紋揚羽蝶は、平家の家紋です。織田信長は自分が平家の流れを汲んでいることを意味するために好んでこちらの家紋を利用しました。実際平家の流れを汲んでいるかは不明です。
永楽通宝(えいらくつうほう)
この画像では黄色の旗のです。家紋は織田信長が旗印に使用したことで有名な家紋です。経済を発達させた織田信長ならではといったところでしょうか。
五三桐(ごさんのきり)
あれ?この家紋って豊臣秀吉の家紋じゃないのと思った方も多いはずでしょうし、間違っていません。しかしこちらの家紋は織田信長が足利義昭から与えられたとのことで、織田信長の家紋でもあります。
丸に二引両(まるににひきりょう)
こちらの画像も時の将軍である足利義昭から与えられた家紋です。ちなみに、画像は色が反転いることは、ご了承ください。
十六葉菊(じゅうろくようぎく)
画像では2段目の文様です。こちらは現在の皇室が利用している家紋ですから、ニュースでもたまに見かけますよね。織田信長は当時の皇室から与えられたことが由来しています。
無文字(むもじ)
織田信長の家紋
こちらの画像が無文字です。この家紋は仏教(禅)の無から来ています。キリシタンを保護したことが有名な織田信長ですから、彼に仏教を意味する家紋があったのは、不思議な感じもしますが禅宗の側面があったそうです。
織田信長の家紋はキュウリ!?
木瓜とは(もっこう)と読みます。キウリではありません。織田信長の家紋は五つ木瓜・織田木瓜などと呼ばれています。絵柄がキュウリの輪切りに似ているからキウリと書くという風に言う人もいるそうですが、それは間違いだとされています。それにしても木瓜とは、難しい読み方ですよね。
木瓜はボケの花のボケとも読むそうです。織田信長はうつけとも呼ばれていましたから、ちょっっぴり合っているかもしれませんね。
織田信長の家紋と似ている「五瓜唐花」について
実際は織田木瓜と言われる家紋と五瓜唐花とは若干違いがありますが、一見しただけではよくわかりません。ということで五瓜に唐花という意味や由来を見ていきましょう。なおこの家紋は鳥の巣から来ているそうです。そして鳥の巣は子孫繁栄を意味するということです。
五瓜唐花とは(ごかにからはな)と読みます。こちらも大変読みにくいですから、読めることにがちょっとした自慢になってあなたにとってのニュースになるかも。
五瓜とは
木瓜紋の中で特に、円を5つで割っり外側の絵が5つ紋を五瓜と呼びます。
唐花とは
唐花という名の植物はありません。唐の文様風のお花のことを唐花と呼ぶのだそうです。四弁のものが多いです。
五瓜唐花紋は日本語大家紋の一種です。京都にある八坂神社などが紋章として使っています。残念ながら由来については見つけられませんでした。
ちなみに五瓜唐花を家紋としていた武将としては柴田勝家がいます。お市の方(織田信長の妹)の旦那さんです。柴田勝家の家紋と織田信長の家紋が似ていることに関しての関係性は分かっていませんん。
家紋が同じ?織田信長と八坂神社の関係
諸説あるようですが、もともと織田信長の家は尾張に来る前には、越前のほうで神職にあたっていたそうです。その場ではスサノオノミコトを祀りっていました。八坂神社もスサノオノミコトを祀っているということなので、その関係で似ているのかもしれないとのことです。とはいえ、実際のことまでは分かりません。
織田木瓜発見! pic.twitter.com/8S9ZlGI52x
— 織田三郎信長 (@ods0512) 2017年2月18日
ただ、細かく言うと上の方でお話ししたよう八坂神社は五瓜唐花で織田信長は木瓜ですから、若干の違いはあるようです。
八坂神社とキュウリの関係
祇園祭(八坂神社のお祭り)の際はキュウリを食べてはいけないとされています。というのも、上の方ででてきた八坂神社の紋章とキュウリの輪切りの形が似ているからです。(スサオノミコトがキュウリの上に降り立ったからと言う説もあります。)そんなわけで、木瓜紋はキュウリではありませんが、八坂神社ではキュウリに似ているからという理由で食べなかったりしています。なんだかいろいろな説がごちゃ混ぜになってきてしまいましたね。
織田信長の故郷
織田家発祥の地である越前町織田に鎮座する越前二の宮劔神社。
— いいね!越前ロコ旅@越前町観光連盟 (@e_kankou) 2017年2月15日
神社の神紋は、もちろん織田家の家紋と同じ織田木瓜紋。
この紋章のおかげもあり人気なのが劔神社のご朱印帳です。
今回、以前発売してすぐに売り切れてしまった越前和紙製ご朱印帳が販売再開いたしました。 pic.twitter.com/pcGyNLluaR
上記のツイッターにあるように、織田信長の祖先んは越前にあるということです。こちらの劔神社と八坂神社の家紋が同じなのです。本当は八坂神社ではなく織田信長はこちらの神社が由来なのかもしれませんね。
もともとは織田信長の実家は越前(福井)織田町の官職の家でした。つまり神に仕えていたのです。なんとなく意外ですよね。織田信長本人ではありませんかそう思えても仕方がないかもしれません。
織田信長家の家紋の起こり
ここでは一番有名だと思われる木瓜紋についてお話ししたいと思います。木瓜紋は織田信長の正式な家紋でもあります。
織田信長の父である信秀が、尾張国の守護職から与えられたものです。つまり織田信長の父親から伝わるもので大切なものということを意味することから、現存しているものに多く使われているのではないでしょうか。織田信長のものであるとされている、兜や陣羽織には織田木瓜が記されているのです。
織田信長以外の三英傑の家紋も見てみましょう
織田信長の家紋が分かったところで、織田信長以外の三英傑(豊臣秀吉・徳川家康)の家紋も見てみましょう。この三人がそろうと素敵なニュースが起こるかもしれませんよ。
豊臣秀吉と言えばこちらの桐紋(きりもん)ですよね。 桐花紋(とうかもん)とも呼ばれています。ほかにも瓢箪や馬標なども利用していましたが、豊臣秀吉の家紋と言えばコレ!現在では日本政府や首相官邸でも見られます。ですからニュースの時に見たりしますよね。
徳川家康の家紋を知らない人はいませんよね。水戸黄門の葵のご紋です。葵紋はフタバアオイという植物が由来となっています。紋自体は京都の賀茂神社の紋章が由来となっているということです。
織田信長と家紋について
織田信長の家紋について調べてみましたがいかがでしたでしょうか。家紋が7つもあったというのが大変驚き私の中でちょっとしたニュースになりました。
織田信長の家紋について調べていたら、もともともは越前の出身だということも知り大変勉強になりましたが、あなたはどう思われたでしょうか。家紋というのはやはり奥が深い物ですね。ずっと尾張の人間だと思っていた織田信長のルーツを知ることが出来たのです。
もっと織田信長を知りたいあなたに



